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Still image from the movie "Voice(s)"

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 昨年、長野県信濃美術館での展示に向けて写真を撮りながら、或る種の言葉について考えることが、幾度かありました。「建て替え」や「建て直し」という言葉には暗黙のうちに、その建物の本質、つまり中身は変わることなく、本来的ではない外皮のみが新陳代謝して置き変わる、といった了解が組み込まれているように思えます。長野県信濃美術館の場合にそれは、その名前と、美術館という機能が変わらなければ、建築物を取り壊した後も、それが以前と変わらずそこに在り続けているかのように捉えるということです。それは私たちが、身体の度重なる細胞の入れ替わりに対しても、個々の人物を連続的な存在として認識することにどこか似ています。そうでなければ、その度ごとに常に新しいものとして生まれ変わる世界、という恐怖に、私たちはおそらく耐えられないのでしょう。しかし、それを理解しながらも、或る形と共に失われゆく、そして、失われてしまったものを想うこともまた、私たちには手放し難いように思えます。ある時、私がそこに生きた長野県信濃美術館は、まもなく重機によって粉砕されるであろう、その壁の肌理によってこそ在り得ていたのです。私が腰かけた、窓際に置かれた椅子の位置が、或る時点の信濃美術館の存在を支えていたはずなのです。