信濃毎日新聞 (10月、11月)
毎月第1土曜日の信濃毎日新聞に掲載される、「思索のノート 沈黙の言葉に出会う」というコーナーに、写真を掲載していただいております。本文は政治学者、中島岳志さんによるエッセイです。ご覧いただけましたら幸いです。
写真は10月と11月の連載に使用したものです。
一枚目は房総半島の平砂浦。さらさらと流れるような砂の丘が続く土地は、太平洋戦争の最中、海軍砲術学校の演習場でもありました。
二枚目は、長野県信濃美術館本館に隣接する東山魁夷館の中庭にある池、その薄氷に映る夕空です。2016年の暮れ、次の年に行われる本館のクロージング展『ネオヴィジョン 新たな広がり』に向けての下見のため美術館を訪れた冬の日に、この写真を撮りました。その後、東山魁夷館は改装を経て、今年の10月にリニューアルオープンしました。撮影後、間も無くして夜の帳が下りていくなか、私が眺めていた信濃美術館本館の建築は、いまはもうありません。
グラデーションを歩く
信濃毎日新聞 (6月、7月)
毎月第1土曜日の信濃毎日新聞に掲載される、「思索のノート 沈黙の言葉に出会う」というコーナーに、写真を掲載していただいております。本文は政治学者、中島岳志さんによるエッセイです。ご覧いただけましたら幸いです。
写真は6月と7月の連載に使用したものです。
一枚目に写る車は、富津の海岸に捨て残されていました。海岸に、打ち上げられたものか、タイヤを見つけることが良くあります。なかなか海とは短絡しがたい車という存在ですが、船を係留する器具など、港では所々にタイヤが用いられています。二つの半島の撮影を続けるうち、そうしたことも知っていきました。
二枚目は長野県、安曇野市の、白鳥飛来の池として有名な御宝殿遊水池です。この場所は写真を学び始めてから、帰省の折に触れては訪れていました。広い河川敷にはゲートボール場があり、夏に涼しい木陰から眺めるその風景をRobert Adamsの写真のようだと、どことなく無邪気に、感じていた記憶があります。